どうも白幡です
日本中を震撼せしめた東日本大震災から間もなく五ヶ月経とうというこの頃
ようやっとボランティア活動をしに、被災地・岩手県は釜石まで行って参りました
今回は、いつもお世話になっているJR東労組の方々に、更に多いに面倒みて頂いて実現したもの
なかなか出ない一歩を後押しして頂いた形
それも先月「てけれっつのぱ」盛岡公演の際、芝居が終わった後の大人のお付き合い(飲み会とも云う)の席で決まった話…酒の勢いあなどれじ
みんなから兄貴と慕われ、劇団の芝居を何本も観に来て頂いている運転士の井上さんに全ておまかせ状態(本当にすいません)
さて
6日、新幹線にて盛岡を目指し出発
盛岡からは井上さんのクルマに乗せて頂き、釜石まで2時間半の道程
先日の芝居の話などで盛り上がる
到着した頃にはすっかり夕方、早速お世話になる釜石支部の皆さんにご挨拶
「遠くからわざわざ!いやぁ家も流されちゃって大変だったよわはは」
「いきなりそう云われても困るべぇわはは」
確かに…どうリアクションすりゃあいいんだ
地震や津波のエピソードの数々をお伺いしたが、何と云うか…
明るい
当たり前のようだが、笑っている
皆がそうというわけではないと思うが、下を向いていてもどうしようもないことを知っている
思っている以上に現地の方々は前向きなのだ
宿泊は、井上さんの先輩・及川さんのご自宅がやっていらっしゃる、焼き肉屋さんの二階の一室をお借りした
食事もご馳走になり、夜は云うまでもなく大人のお付き合い(笑)
7日、作業日和とは言い難い晴天
朝食を頂いた後、ご夫人お手製のおにぎりを手にいざ作業へ
という時にご夫人曰わく「みんな臭うわよ?」
前日、「明日の活力!」と大蒜を食べ過ぎたか
すいません…
そう
臭いといえば後述するが、現場では別の臭いに相当苦戦を強いられる
釜石支部にてツナギや長靴、マスクをお借りし、やはりJRの高崎や八戸から来た皆さんと、13人のチームでボランティアセンターへ
あらかじめ保険に入らなければならない
瓦礫を詰める土嚢からガラスなどが飛び出て、怪我をするケースがあるのだそうだ
切るくらいならまだいいが、瓦礫には細菌が多くいて、破傷風になりかねない
気を付けねば
広い駐車場に沢山のクルマ…などと思いきや「週末だっつうのに今日少ねぇなぁ!?」
…以前なら停められないほどクルマで溢れ返っていたものが、今はボランティアの人数は少しずつ減っているらしい
ともかくも
借りたトラックに、借りた一輪車やシャベルに熊手、土嚢を積んで作業現場へ向かう
釜石駅の向こう、橋を一本越えると、町の様子は一変した
ひしゃげたシャッターが増えてゆく
瓦礫まみれの家がまだ沢山ある…
どうしたらここまで小さくなるのか、というくらいグシャグシャになったクルマがあちこちに放置されている
作業はそんな中の一軒家、瓦礫の撤去である
マメに休憩を入れつつ、作業が進められる
サッシが外され、泥にまみれたソファーやらテーブル、戸板やら欄間、湿気で重くなった畳やらが運び出される
服や靴や、雑誌や鞄や、鍋や家電や、食材や酒瓶や、ヘドロの混ざった泥が土嚢の袋に詰められてゆく
その時
「ぎゃっ!」
「出た!臭っっ!!」
臭いの正体は…
チョウザメである
震災前は近辺に養殖場があり、作業中に瓦礫の中から出てくる…、と実は前日からチラホラ話題に上がっていた
泥の臭いはともかく、既に干からびて見事に鮫革のみになった彼奴が発する臭いは尋常ではなく、その凄まじさは活性炭のマスクを通しても十二分に鼻を貫く
泥だらけになった他の日用品と同様、土嚢に詰めて抹殺
とまぁ口で云うほど簡単ではない
集っている蠅を払いのけながら、胴体を折り曲げねば入らない
息を止めるにも限界があるのだ
少しでも鼻腔を緩めようものなら…
「ゥオェ!…ウェッ!!」と、仲間のえずく声に、ある者はその場から退避し、またある者はつられてえずく…
デカいものは写真のサイズ(持っている時はかなり息を止めて我慢している)
それでも慣れとは怖いもの
昼食で釜石支部の事務所に戻った時に「悪いんだけど…おめぇら臭ぇぞ…?」
あれ…染み付いてる?
殊に長靴の底に入り込んだ泥が、しぶとく臭いを運ぶのだ
恐るべしチョウザメ…
「鮫ちゃん」の愛称(?)で呼ばれたコイツはまた、一匹二匹では無い訳だ
大小合わせて六匹はやっつけただろうか
発見されればその都度同じ有り様が繰り返され、片付けた者は勇者として称えられた
中でも
最後に玄関付近の泥中から発見された、干からびきってない液状の鮫ちゃんの異臭はそれまでの比でなく、ほぼ全員が緊急退避
泥に残った移り香に「ウェッ!オェバ!」と、方々からこだまする声に現場は酸鼻を極めた
ラスボス的鮫ちゃんは、二重にした土嚢に入れても尚、蠅に集られつつ我々を苦しめたのだった
体力はもとより、精神力を消耗するものと知った…
二階にはまだ使えそうなな家具が転がっていた
棄てるかどうか判断しかねるので、この場合お任せするしかないようだ
にしても
荒れ放題だった家の中が、一階だけとはいえ…ほぼ片付いた
皆、汗と埃まみれになったが何とかなるものだ
さて
家電や鉄以外のゴミ、瓦礫や土嚢は所定のゴミ置き場にトラックで運ばれる
白幡も一度トラックに同乗し、そこまで行ってきた
瓦礫、土嚢がうず高く積まれたその場所も、当時津波に襲われていたそうだ
越えるとは思われなかったほど高い堤防を越え、津波は来た
近くにあったパチンコ店は消滅
すぐそばの場外馬券場は歪みながらもその姿を残していたが、中にいた多くの人々が犠牲になったそうだ
町中も海に近いほど未だに酷い惨状であった
風船のように膨らんだコンクリートの壁が津波の衝撃を物語る
遠くから見れば何も不自然でない巨大な船も、近づいて見れば波止場に完全に乗り上げている
翌日、連れて頂いて観に行った両石という地域は町ごと無くなり、浪板海岸は砂が浚われ防波堤の際まで波が打ち寄せていた
大槌も大船渡も建築の基礎と数える程度のビルを残して全てかっ浚われている
「アフガンより酷い」と云った人がいたそうだ
復興など出来るのか、と正直思われた
海岸沿いのどれほどの町が同じ目にあったのか
一口に「復興」とは云うが、まだほんの一歩を踏み出したに過ぎない…と痛感した
それに
ボランティアセンターは9月一杯で受け付けを終了するとか何とか
これから冬に向かって、作業条件は益々厳しくなり、助けに行く人も減っていくかもしれない
家一軒片付けるのに大の大人が13人、一日かかってけ汗と埃にまみれてついでに日に焼けて、それでも全てやりきれていない
この先何年掛かるか見当もつかない
被災者の方々の思いと遠く離れた人々の間には、埋めようのないギャップがある
長い冬を越す辛抱強さを持つ東北人は、その弱音をあまり表に出さない
それどころか町中に「支援ありがとう」「ボランティアの皆さんありがとう」の看板
あの惨状の中にいながら自らを奮い立たせ、懸命に復興に向かって立ち直ろうと踏ん張っている
とてつもなく気高い
同じ東北人として誇りに思う
どうか
どうか一日も早く、明るい未来が訪れるよう切に願う
ちょっとボランティアしたくらいで偉そうに語ったが
活動内容を少しでも多くの人に知って貰いたく、そして願わくば多くの人に現地に行って力を貸して貰いたく…心からそう思った
いろんな蟠りを胸に収めつつ…結論はシンプルに
俺はまた行きます、絶対に!
(それはそれでまた皆さんにお世話になりますが…この際棚の奥の方にあげることにする)
やれ
掻い摘んだつもりが相当長くなってしまった…
そういうわけで
東北の旅公演後半戦での平太は、ほんの少し土方焼けしているのである…
白幡大介
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8月.10,2011